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ジャン=ポール・グード

ジャン=ポール・グードの幻想的な作品を中心としたイメージ・メーカー展のオープニングを明日に控えた会場に、ダンサーのようなしっかりとした体格の活発で身軽な男があちらこちらを駆け回る姿があった。彼こそがジャン=ポール・グードだ。しばらくしてインタビューの準備が整った。約束に少し遅れてしまったことを謝る彼は展示の準備やインタビューに追われてランチを取る余裕さえ十分にないようだ。彼の前に置かれているのは食べかけの桃のボウル。「おいしそうですね」と言うと、彼は笑いながら「毎日こんな食事でも満足かい?」と答えた。癌から生還したばかりの彼は今も療養中なのだ。

今の境遇になって初めて気付いたことはありますか?

そうだね、私はほとんど助かる見込みのない死の淵から生還したばかりなんだ。私がこの地球に生まれ落ちてから成し遂げてきたあらゆることややり残してきたことなど、過去について考える時間はたっぷり与えられている。私がこの展示に参加した理由のひとつは、私のこれまでの仕事の価値をこの現代において懐古的になることなく確かめることだ。今の時代に対して自分自身の価値を試すことで、自分がかつて想い描いていたアーティストになれたかどうかを見極めようとしているんだ。このように振り返って考えることはとても有意義なことだと思う。偶然だけど、そうすることで私は自分の両親についてもより多くのことを発見することができたんだ。
家の中心だった母は数年前に亡くなった。母は私にとっては無二の親友であるばかりではなく、無限のインスピレーションの源でもあった。「生きる喜び(joie de vivre)」に満ちた母の溌剌さと比べると、父はほとんど禁欲的とも言える人物だと私は思っていた。父は私が20歳の時に亡くなっているから、父のことを深く知ることはなかったんだ。ずっと後になり、彼の青春時代がいかに「ロマネスク」な情熱に満ちたものだったかを知ることができた。父はまだ小さいうちに両親を事故で亡くし、幼少期から孤児として育てられた。そして父は名声と富を求めてアメリカに渡り、そのいずれも手にすることはできなかったものの、nyで苦難の数年を過ごした後、とある有名なオペレッタ歌手との破滅的なロマンスを経て、裸一貫から再出発するべくパリに戻ってエンジニアになる勉強をしたんだ。気付くのが少し遅くなったかもしれないが、父と私には似たところが多くあると今になって思う。私はかつて家族というものを真剣に考えたり気を配るようなことは全くしていなかった。しかし病気になってからは、妻、母、そして子供たちがとても大切なものに思えてきた。私にとって本当に大切なものを見極めるためにしっかりとしなければならないと感じている。スタジオでゆっくりと制作できることは本当にありがたいよ。作品があってこその私だからね。

何か他の方法を試してみたかったことや、後悔していることはありませんか?

ないね。芸術作品というものは、形式や中身を問わず、その人の最も奥底にある感覚を昇華したものだ。あるいは、母の言葉を借りて言えば「芸術作品はその人の魂を映し出すもの」だと常々考えている。少し大げさな言い方かもしれないけれどね。善かれ悪かれ、私はいつもそのアドバイスの通りに努力してきた。流行を追いかけようとしたことはないし、誰彼のスタイルを真似しようという考え方には一度たりとも馴染めなかった。私はいつも自分に正直であろうとしてきた。子供の頃に恋焦がれたアメリカの雑誌と映画、特にミュージカルは、その頃からずっと私を導いてくれる光なんだ。私は昔からデッサンが得意で、美術学校に入って一年経つ頃には生活のために絵を描き始めてプロのイラストレーターになった。35歳になるまでの10年間はnyに住んでいて、幸運なことに広告の天才ジョージ・ルイスや、アメリカの伝説の出版者であり『エスクァイア』誌の編集長でもあったハロルド・ヘイズのような同時代の偉大な才能と一緒に仕事をすることができた。多くのことを学ぶことのできる素晴らしい時間だった。何一つ、後悔はないよ。

好きなダンサーはいますか?

無論、ここはジャン・バビレの名前を挙げないわけにはいかないね。たとえ、彼のことを覚えている人がもう一人もいないとしても。君はダンスに興味があるのかい?

モダン・ダンスは好きですね。

私もだよ。私が7歳か8歳の時に見たダンスは今も私の心に最も強く刻まれている。私の母は結婚前はアメリカでプロのダンサーをしていて、ダンス教室に私を毎日連れて行ってくれた。そこで私はリハーサルの最中のジャン・バビレを半開きのドア越しにふと見かけたんだ。バビレを越えるアスリートは未だに見たことがないよ。ありふれた言い方だというのはわかっているけれど、彼は踊っていたのではなく、文字通り飛んでいたのだとしか表現しようがない。その瞬間を忘れたことはないよ。バビレはまさしく最高のモダン・バレエ・ダンサーだ。あの荒々しさ、小ぶりな体、逞しさ、脂ぎった長髪......彼はむしろ不良少年か自転車レーサーのように見えるね。あの時代の女々しいダンサー達とは何一つ似通ったものがない。私にとって、彼は崇拝の対象なんだ。

70年代のnyで最も鮮明に覚えているものは何ですか?

ユニオン・スクエアの私のスタジオだね。古い建物の屋上に建てられた小屋というヨーロッパ人なら誰もが想い描くような最高の理想だ。素晴らしかったよ。元々はアート・ディーラーのジャック・クラインが住んでいた場所で、彼は当時ポップアートの最も精力的なコレクターでもあった。どこもかしこも、ベッドルームや台所にさえ、ポップアートが溢れていた。私は大いに感動してすぐにそこを借りることに決めたんだ。家賃は毎月250ドルと安いものだったけれど、悲しいことに毎年どんどん高くなり、やがて家賃を払うのがくだらなく感じられる程に達し、2005年には出て行くことを決めたんだ。

最近、心を揺さぶられるような衝撃を受けたものは?

ピナ・バウシェのバレエを初めて見たときだね。まるでカーネーションのようだった。なんという感激だっただろう。振り付け、ステージ演出、ダンサーたち、そのすべて、その一人一人が、まさしく心を揺さぶられるような衝撃を与えてくれたよ。

グレース・ジョーンズについてあなただけが知っていることを何か教えてください。

ふむ、しかしグレースのことを悪く言うことは許されてないからね。

なら、止めておきましょう(笑)

いや、ちょっと待ってくれ!何か褒められるようなことを探してみるよ(笑)

グレースとは親友だから大丈夫だろう。私と彼女の間柄ならではの問題があるね。彼女なら本当はもっと成功できたかもしれないと私が時々考えているのは事実だ。これは別に彼女の悪口ではないだろう?おそらく、彼女はもっと遥かな高みへと辿りつけたはずだ。アーティストとして成長を続け、音楽界の伝説になることだってできたはずだ!だけど、彼女は自分自身や自分の仕事を深く見つめ直すということはしなかった。ある意味では、変わろうとしないことは彼女の真摯さの証なのかもしれないけどね!決して自分を偽らないグレースを愛らしいと考えることもできるけれど、私にとってはそうした態度は扱い難いものだった。たとえば、ある日グレースは私に「とても重要な話がある」とビジネスライクな口調で電話をかけてきたんだ。東京でのショーの最後の詰めの作業で本当に忙しかったけれど、グレースの声がとても真剣な様子だったから、彼女が時々「ご乱心」することは承知の上で不本意ながら次の日に会う段取りをしたんだ。念のため、本当に会いたいかどうかの確認の電話を翌朝かけてくれと私は彼女に頼んだものの、彼女は当然のようにそんなことはすっかり忘れていてね......私は未だにその電話を待っているというわけだ。たいした話じゃないけれどね!まあいいさ、それがグレースらしさなんだ!それを魅力的だと感じる人もいるけれど、私もそのように感じられるかどうかは自信がないね。そんな頼りない人の面倒を見たいと思うかい?私は当然ごめんだね!もし日本でそんな振る舞いをしたらどうなることか。

日本の人々は約束事にはとても誠実ですからね。

私もね。あるいは、できるだけそうなろうと心がけていると言うべきかな!日本の価値観は西洋ではよく理解はされていないね。そうそう、ひとつ思い出したことがあるんだ。もちろんこれは第一印象に過ぎないのだろうけれど、昨日東京をぶらぶらと歩いているうちにこのままずっと日本に住んでしまうのも悪くないなと考えていたよ。

世界中で起きている右傾化についてはどう考えていますか?

誰もがそうであるように懸念しているよ。安部総理による新しい改正自衛隊法(インタビューの前日に成立)はどこに向かっていくのだろう......昨晩tvで見たアメリカ製の最新の武器のコマーシャルを思い出すよ。美しい映像で撮られた時速150マイルで疾走する戦車、映画俳優のような兵隊、ロケット、航空機、ミサイル......あれほど惜しみなく力を誇示するものを見たことはないよ。美しくもあり、おぞましくもある。そのようなプロパガンダが社会にとって危険なものであるのは間違いないね。

そらく母がアメリカ人であるせいもあるけれど、私は自分自身を100%フランス人だと思ったことはない。そのことは物事に対してほとんど無関心ともいえる距離を置いた視点を可能にしてくれている。たとえば、 私がフランス革命200年記念パレードのようなセンシティブな国家的象徴にさえ気軽に関わっていったのは作品を作る機会としておもしろいと思えたからだ。政治や社会のための使命感ではなく、楽しみから生まれた行動というわけだね。右傾化についてはこう答えておこう。もし自衛隊が防衛に徹して侵略を行わないならば問題はないだろう。悪いことにならないよう祈っているよ。

横尾忠則さんはあなたの最も好きなアーティストの一人だったと記憶していますが、彼は生まれ変わったら宝塚女優になりたいといっていました。あなたの来世のご予定は?

私には何の計画もないね。あるのは子供たちのための計画だけだよ。そうだな、あえて言うならピナ・バウシェらしさを併せ持った第二のジャン・ビバレとしてダンス・シーンで活躍することかな。いや、私はきっと嘘をついているね。私はそもそも来世を信じていないんだ。私が信じているのは無だよ。終わりは終わり。そこには何も無い。死はあくまで死なんだ。

に言えるのは、私には素晴らしい家族がいて、できるだけその生活を続けていきたいと考えているということかな。妻は私のすべてだ。妻と私はあらゆるレベルで親密に結びついているんだ。そんな伴侶を見つけることがいかに素晴らしいかを皆に伝えたいね。もはや死の脅威さえ大したことがないように思えるよ。

自分自身の一番の悪習だと思うことは?

自己中心的なところかな。自分がどうしたいのか自分でも時々わからなくなるにも関わらずね。私は自分というものにあまりにも囚われすぎている。

アーティストのキャリアに運はどれくらい重要でしょうか?

運はとても重要だ。特に私の場合はね。もし運が訪れたなら、必ず掴み取るんだ。私が『エスクァイア』誌で仕事ができたのは純粋に運だし、グレースとの出会いもそうだ。私と広告の関わりは怪我の功名のようなものだし、フランス革命200年記念パレードも、なにより妻のカレンと出会えたことも運だからね。運は欠かせないものだよ。(「野郎どもと女たち(guys and dolls)」のメロディを口ずさみながら)「幸運の女神よ、今夜こそずっと傍に...(luck be a lady tonight...)」

インタビュー・写真:アンドレイ・ボルド
翻訳:タムラ・マサミチ
2014.09.05

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