カールステン・ニコライ
エラー。制御が緩み、新たな姿が現れる、移りゆく瞬間。それこそがカールステン・ニコライの核心をなすノーション[noton]であり、生命の多面性の情熱的な抱擁にもとづくカールステンの世界観を読み解く鍵である。本人を前にすれば瞬時に感じとれるカールステンの子供のような期待感とおおらかさとともに、エラーという概念は作品に度々みられる機械的で冷淡な性質にまったく異なる次元を開いていく。
ともにバーを訪れたとき、席につこうとしたカールステンがiphoneを落としてしまう一幕があった。それを拾い上げ、こちらに見せてくれたカールステンの目は輝いていた。画面に走るひび割れは実に整然とした幾何学模様の見事なタペストリとなり、より大規模で、より少ない偶然に導かれているカールステンの作品のようにも見えた。
手始めに「黒」について聞いてみましょう。あなたにとって黒とは?
吸収だね。黒の定義は光を反射しないことで、その定義を実現するのは極めて困難だけど、色彩の一種としては考えていない。また、フランスの実存主義者たちが連想されることもあるだろう。彼らは自らの思想を体現するため黒い服のみを身に着けていたからね。黒には多くの意味があるが、僕自身にとっては、吸収という定義がまず思い浮かぶね。
庭園とランドスケープの設計を行っていたこともありますが、そうした経験から自身の作品にオーガニックな要素を取り込もうとしたことは?
オーガニックな要素は常にあると思う。自然は私にとって主要なインスピレーションの源だ。注意深く見てもらえば、僕の作品が自然の様々な構造やその働きからいかに着想を得ているかわかるだろう。ycam(山口情報芸術センター)でmarko peljhanと共同制作した「polar m」という作品では、放射線とそのランダムな性質が主な要素のひとつを占めていた。大気圏外から降り注ぐ放射線や、石や海が発する放射線には、極めて高いランダム性が見られる。それは純粋に自然的な要素で、僕たちの生活にとって真に本質的なものだ。福島の事故の数か月前だったがmarkoと私は日本特有の[核エネルギー依存]状況をすでに意識しており、その文脈において作品を制作した。
福島の事故以降、日本で核エネルギーの是非を問う大きな動きもありましたが、長くは続きませんでした。多くの日本人は、核エネルギーがやがてもたらす結果に関わらず、最も安全で効率的なエネルギーとしてそれを受け止めているように見えます。
福島は本当に悲惨な事故だけど、ドイツ人である僕から言えば、とてもポジティブな結果も生み出している。この事故はドイツ人が原子力に反対するきっかけになったからね。もちろん、即時的な結果だけ見れば原子力は最も効率的に最大の利益を生み出す発電方法だが、発電を止めた後も必要になるメンテナンス期間も考慮すると、その計画全体の経済的な収支はなりたたない。閉鎖した発電所を適切に管理しなければならない時間は、エネルギーを生み出す時間よりも遥かに長い。さらに、常に誰かの監視下になければならず、ただ放置しておくことはできない。だから、核エネルギーについて責任を担うべきは人々であって、営利会社ではない。
ドイツには大手電力会社が五社あるが、そのほとんどが核エネルギー事業に希望を持っていない。彼らは原子力への投資が巨大な過ちであったこと、そして、やがて破綻することを知っている。僕たちは未来の世代へと責任を先送りにし、彼らに膨大な仕事を押し付けようとしているんだ。
ドイツは原子力からの脱却を決め、人々はそれに賛同した。世界有数の経済国であるドイツのこの決定は、核についての新たな理解へと繋がり、持続可能なエネルギーへの関心を高め、そしておそらくは持続可能性と信頼性に基づいた新たな市場を創り出すことになるだろう。それは福島なしには起らなかったことだ。その意味では、福島は私たちの未来の世代のためにとても重要なものをもたらしている。
音楽を提供したいと思う映画はありますか?
映画のために書いた曲は沢山あるけれど、そのどれもが実在しない映画なんだ(笑)音楽が生まれるときにはきっと頭の中には明確なビジョンがあり、その衝動を表現できる唯一の手段として曲を書くのだと思う。「xerrox vol.3」[2015, raster-noton]のプレスリリースでは、実在しない映画のために作られた音楽であることを説明している。もっとも、おそらく全てのアルバムがそのように作られているから、あえて言葉にするのはくだらないことかな。作っているときは夢中だから、そのことに気付くのはいつも完成した後だけどね(笑)
最近のポップカルチャーでよく扱われるテーマは人類滅亡と宇宙征服ですが、それについてどう思いますか?
長期的に見れば、人類がやがて滅亡するのは明白だね。僕たちはただ生存の道を求め、まるでsf小説や映画のように宇宙空間に目を向けている。だけど、他の惑星を植民地化できる段階にはほど遠い。せいぜい地球の周りを巡回するか、火星を探索するくらいだ。現実には、人類は小さな宇宙ステーションを維持することにすら苦労している。バックミンスター・フラーに言わせれば、僕たちには自分たちの宇宙船「宇宙船地球号」がすでに与えられている。必要なのは彼の「宇宙船地球号操縦マニュアル」をしっかり読むことだね。ここではない場所を望むよりも、環境問題の解消により努力すべきだ。つまり、グローバルに考え、ローカルに行動することだよ。
今注目している科学理論はありますか?
量子物理学と精神世界についての本をよく読んでいるよ。今読んでいる本の一冊「the new physics and cosmology: dialogues with the dalai lama(新しい物理学と宇宙論:ダライラマとの対話)」は驚くほど示唆に富んでいる。ダライラマに量子力学と神経科学の近年の理論・研究・概念を紹介し、彼はそれに対して常々抱えている単純な問いを投げかける。すなわち、西洋文明の世界観ではなぜ精神性と科学が分離しているのかという疑問だ。ひとつ引用しよう―「近代西洋科学の偉大なる達成の多くは、後年の物理学の新たな発展により、大きな問題を抱えることになった。私たちが今立っているステージでは、より広範な協働関係に新たな知識を求めねばならない。その協働的な努力は、様々な専門と伝統に属する人々を取り込みつつ、科学が育んだ正確性を兼ね備えたものになるだろう。」
東西の対立、資本主義と共産主義など、かつての西ドイツと東ドイツの壁は今日ではどのような影響を残していますか?
社会主義は平等という理想を追い求めた世界だけど、その理想は一度たりとも実現しなかった。誰もがよりよい生活をするため、人々は与えられた箱のサイズに合わせて自分自身を縮めねばならなかった。だが、その考え方は過ちであり、その真逆こそが正しいと思う。誰もがよりよい生活をするためには、より多くの自由が必要なんだ。だけど、社会主義下の生活そのものは重要なもので、今でも忘れてはいないし、こうした[社会的]実験を自ら体験できたことには大いに感謝している。そこから重要なことを二つ学べた。ひとつは、お金の重要性。お金に意味はないという考え方はすでにユートピア的だ。もうひとつは、時間の重要性。当時の方が遥かに多くの時間があった。[タルコフスキーの]「ストーカー」を今観ると、とてもゆっくりで、まるでスローモーションのように感じる。時間の性質は完全に変化したね。
ソ連による占領のトラウマは、東ドイツの人々にとって、第二次世界大戦でのドイツの行いに対する罪悪感を克服する助けになるものですか?
そこにはプロパガンダが大いに関与している。僕は東ドイツで育ち、子供の頃に自分たちが「別の」ドイツ人だと教えられたけど、それを真に受けたことは一度たりともない。
ドイツの東西には経済だけでなく社会についても様々な違いがあり、その時代を直に体験していない人々にも影響は及んでいる。アイデンティティとしてね。過去を忘却し、追憶の中に理想を求めることは極めて人間らしい行為だと思うよ。ドイツではそれを「オスタルギー」と呼ぶんだ。とはいえ、仮に過去に戻れる機会を与えられたとしても、誰もそうしようとはしないだろう。おもしろいことにね。
歴史から学ぶことは実に多いよ。少なくともドイツの人々は、独裁的な過去を持ついくつかの国家と異なり、その歴史に正面から対峙しようとしている。
私たちはすでに人工物と密接に繋がりあったサイボーグ的な存在ですが、人間という種族は今後どう進化していくと思いますか?
今日追究されているのは自分たち人間を自らの手で創り出そうとする技術だけど、正直くだらないと思うね。aiの発展は僕たちの世界をより一層理解するためのひとつの努力だと思う。だけど、その努力が結実するとは信じていない。いや、信じたくないね。僕たちを真に人間たらしめているのはミスをすることだ。機械やロボットはミスをしないように設計される。だけどミスをすることは重要なことで、創造性はそこから生まれる。
では、ミスをするプログラムがあるとすれば?
ミスをプログラムすることも可能だけど、おそらくひとつのスクリプトだけでは実現できないだろう。信じられないほど複雑なものが必要になるだろうね。今日のプログラム言語は一連のコードで構成されている。プログラムにミスをさせるには全く別のアプローチが必要だろう。量子コンピューターの実現がそのひとつの契機だろうけれど、まだまだ先の話だね。
たとえばiphoneのような技術は人々のコミュニケーションを急変させたと思いますか?
さほど大きな進化は起きていないと思うよ。僕自身こうしたコミュニケーション[技術]抜きで育ったし、言わせてもらえば、そんなものがなくても何だってできた。人々は今、インターネット、つながり、電話に依存している。ネット中毒という問題も出てきているし、僕らは自ら自由を放棄しようとしている。情報を手に入れるのが簡単になったことで、僕たちはより多くのものに手が届くようになったと考えている。しかし、それは一体何のための情報だい? 過剰な情報はガラクタにしかならない。必要なのは情報をフィルターすることで、それこそが今立ち向かうべき困難だ。正しいタイミングで、正しい情報を得るためにね。
snsが社会生活すべての代わりになるものではないことは誰だってわかっている。やがてsnsが完全に商業化されてしまえば、誰もがそれに辟易することだろう。もう、そうなりつつあるんじゃないかな。誰もシステムの一部にはなりたくないんだ。想像できるかい、今ここで話題にしている世界最大の会社が生み出したものなんて何ひとつないんだ。彼らの主要な収益は広告費で、利用者が明日何を買うかを分析し、そこへ誘導しようとしている。だけど僕たちは愚かではないから、その終焉は時間の問題だろうね。
とても矛盾した状況だと思うよ。プライバシーの侵害について不満を表しながら、同時に、自ら [snsに]情報を提供しているわけだ。それも、無償でね。
raster-notonの共同設立者として、インディー・レーベルの未来についてどう思いますか?
とてもいい質問だね、オラフ[raster-notonの設立者olaf bender]とは過去15年間、自分たちのレーベルの未来について議論してきたよ(笑)
音楽産業は大きな変化を迎えつつある。伝統的な意味でのレーベルはなくなるだろう。それは確信している。おそらくこれから生き延びるのは、アーティスティックなグループ[としてのレーベル]という考え方だ。raster-notonの主軸は、レコードを出版することよりも、アーティスティックな表現をすることににある。
インターネットによって「インディー」という概念自体が根本的に変わるとは思いませんか?どんな情報も、瞬く間に広がると同時に、瞬く間に無意味になる。
ニューカマーにとっては一層難しい状況になっていると思う。とても皮肉めいているのは、radioheadが自分たちで音楽を配信することで音楽産業に「挑戦」するオルタナティブな存在であるかように振る舞っていることだ。彼らの知名度はすでに揺るぎないからね。だけどニューカマーが同じだけの注目をこれから集めるのは実に難しい。
ミュージシャンはレコードの売り上げだけでは生きていけず、演奏をしないといけない。つまり、基本的には、レコード産業の誕生前のミュージシャンが演奏で生計を立てていた時代に戻りつつある。レコードはツアーのための広告のひとつに過ぎない。インターネット世代の若者はレコードを買わないだろう。代わりに彼らが利用するのはストリーミングだ。 これは単に時間の問題だね。その時は必ず来るし、すでに始まっている。
おそらく次の段階はアルバムを無償でリリースすることだろう。僕自身も考えてみたことはあるが、実質的に、それはフリーにはならないんだ。誰か他の人が金に換えようとしてしまう。itunesでは、アルバムを無償で配信する選択肢は与えられていないしね。
u2を除いて、ですね
誰もがu2のアルバムを一枚持っているなんてね(笑) 困ったもんだよ。あれを本当に欲しがっている人なんているのかい?
今日、自分にとって最も関連性が高いと思うシーンは?
社会環境に関係することだね。私たちはデジタルコミュニケーションとsnsに関わる最初の世代だ。伝統的な社会的実践をバーチャルな社会構造で置き換えることができると強く信じている人々もいる。だけど、本当に必要なのは、それをどう扱うかについての感覚的な理解を養うことだ。バーチャル環境は既存の環境を置き換えるものでなく、より発展させるものなのだから。
自分がアーティストになった影響について考えれば、それは基本的にkarl marx-stadtという比較的小さな都市の中の社会環境、たとえば、パフォーマンス、コンサート、アクティビティ、レクチャー、書籍、会話などから受け取ったものだった。今日、私たちが目の当たりにしているのはグローバルな現象だけど、そのための環境を保持できているのは大都市だけだ。次の世代を生み出すきっかけになるのは、刺激的なローカルシーンだよ。大学で教えることになった理由のひとつはこれだね。
何を教えているんですか?
ドレスデン美術大学の教授として、時間に関するメディアを専門としている。自分がかつて学んだ都市に戻り、若い世代に自分の知識と経験を伝えている。おそらく今はそういう時期なのだろう。そこから何が生まれるかは、まだわからないけどね。
インタビュー・写真:アンドレイ・ボルド
翻訳:タムラ・マサミチ
2015.11.21
© andrey bold